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 森川嘉一郎
 電気街とオタクの力学――秋葉原の考現学
 下文は『コミック・ファン』13号(雑草社、2001)に寄稿した小論の転載である。

客層の逆転
“♪あなたの近所の秋葉原、サトームセン”
“♪電器いろいろ秋葉原、オノデン”
“♪電気のことなら石丸電気、石丸電気は秋葉原”
 今から十年くらい前、秋葉原はまだ家電の街だった。そこに拠点を置く大型電器店のTVCFが描くイメージそのままに、若い夫婦が幼子を連れて冷蔵庫やビデオカメラを買いに行くような場所であった。高度経済成長期の、所得倍増計画が描いていた家庭像の蜃気楼が残存していたような、そんな街だったのである。
 ところが家電市場が徐々にコジマなどの郊外型量販店に奪われるに従って、秋葉原の電器店は主力商品をパソコンに移していくことになる。一九九〇年に六階建てのビル全体をコンピュータ関連商品に充てた大型専門店、「LAOXザ・コンピュータ館」がオープンしたことが、一つのターニング・ポイントとなった。以降、「DOS/V館」「MAC館」「GAME館」等、他の大型店もこぞってチェーン店を専門分化させ、これにともなって秋葉原を訪れる客層も、親子連れから若い男性のパソコン・マニアへと、中心を移すことになる。
 もちろん秋葉原には、マニアックな客が以前からたくさんいた。電気工作のためのパーツを漁りに通う人々は電気街の黎明期からいたし、七〇年代に大型ステレオがブームになった時にはオーディオ・マニアが急増したりした。しかし電気街としての秋葉原を支えていたのはあくまで戦後家庭生活の「三種の神器」と呼ばれたテレビ、冷蔵庫、洗濯機、それからクーラーなどのいわゆる白モノ家電であり、それらを買い求めに来るニューファミリーたちだったのである。言うなれば、現在ならコジマに家電を買いに行くような人たちが、秋葉原の主要な客層であったわけである。それが九〇年代以降になって、パソコンへの重心の移動にともない、名実共に専門的商品を求めるマニアたちが秋葉原の中心を占めるようになっていったのである。
 これは秋葉原の電気街にとって大変大きな変化だったと言い得る。ところがこの新たな客層が触媒となって、「電気街」という街の特質そのものを揺るがしかねない、さらに大きな変化が誘発されたのである。同人誌やガレージキット専門店の集中に代表される、秋葉原の急激な「オタクのメッカ」への変貌である。これは特に九七年以降顕在化し、現在も規模を拡大しつつ進行している。
 念のために補足すると、秋葉原で委託販売されている同人誌というのは、「同人」といって一般的に想起されるような文芸作品を編纂したものではもちろんない。基本的には人気漫画・アニメ・ゲームの特定作品のファンが集まり、その作品の登場人物や世界観を流用して描かれたアマチュア漫画の作品集のようなもので、趣味嗜好別に大変細分化されているところに特徴がある。秋葉原で販売されているものは、その大半がポルノグラフィックな内容のものである。また「ガレージキット」というのは、これも秋葉原で販売されているものに絞っていうと、人気漫画・アニメ・ゲームに登場する美少女やロボットなどのキャラクターを主なモチーフにした、マニア向けの少量生産の模型のことである。いずれも、旧来の電器店の取り扱い品目からは完全に外れる商品である。
 九〇年代初頭に起こったパソコンへのシフトというのは、以前から秋葉原に存在していた電器店が主力商品を移行させたに過ぎない。ところが九〇年代末からのオタク街化においては、それまで電気街が扱ってきたものとは業種も流通経路も全くことなる商品群が、既存の家電店と入れ替わる形で専門店ごと外から流入してきたのである。


オタク系専門店の侵攻
 例えばガレージキット専門店は、九六年以前は秋葉原には全くと言ってよいほど存在していなかった。むしろ渋谷や吉祥寺に多くの店があったのである。それが九七年以降、大手の海洋堂が渋谷に展開していた二店を畳んで秋葉原に移転したのを皮切りに、イエローサブマリンやボークス、コトブキヤなどの店も次々と秋葉原に進出し、重心をそこに移し出した。九七年から二、三年という短期間に、秋葉原はいきなり日本で最もガレージキット店が集中する街になったのである。そして同人誌やアニメキャラクターグッズなど、マンガ・アニメ・ゲームに関わるさまざまな商品の専門店に関しても、同様な移転現象が併行して起こった。やはりそれまでは渋谷や池袋、吉祥寺などに多く見受けられた類の店であるという点でも、共通している。
 電気街からオタクのメッカへという、秋葉原の変化の縮図になっているのが、ラジオ会館[図1]である。秋葉原駅電気街口正面に位置するこのビルは、家電からオーディオ、コンピュータ関連まで、秋葉原の中心的商品のさまざまな専門店が高密度に集合している。
 このラジオ会館には、九八年にいたるまでマンガ・アニメ関連商品の専門店は一切入っていなかった。大まかにいうと一、二階は家電店中心、三、四階はオーディオ店中心、五階以上はパソコン店中心と、年代ごとの秋葉原の主力商品の移り変わりが地層のように自然と積み重なった構成になっていた。
 ところが九八年三月以降、あたかも大がかりな買収か地上げでも行われているかのように、ラジオ会館のフロア構成は急激に塗り替えられていくのである[図2]


一九九八年
三月 二階にキングスター(ゲームセンター)開店
四月 三階の半分を占めるかたちでケイブックス(マンガ専門書店、同人誌やキャラクターグッズも販売)開店、四階に海洋堂(ガレージキットメーカー)が直営店を開店
六月 六階にボークス(ガレージキットメーカー)、直営店を開店
一九九九年
一月 七階にイエローサブマリン(ホビー専門店)、トレーディングカード専門店を開店
七月 六階のボークス、店舗を一・五倍に増床
一〇月 四階にイエローサブマリン、プラモデル・ガレージキット専門店を開店
二〇〇〇年
八月 七階、イエローサブマリンのトレーディングカード専門店増床
九月 七階にイエローサブマリン、スケールモデル専門店を開店
一〇月 三階のケイブックス、ワンフロア占拠するように増床
一二月 二階に海洋堂が食品オマケ玩具専門店を開店、四階のイエローサブマリンが増床


 現状で、ラジオ会館のフロアで店舗として使われている部分の約半分が、こうした電器以外の店で占められるようになっている。そしてこれは、約三年間のうちに起こった変化である。この勢いは二〇〇一年現在も続いており、マンガ・アニメ・ゲーム関連の店の割合はさらに増える見込みである。駅前の一等地に立つ電気街を代表するビルで、電器店が次々と店を畳み、そこへマンガやフィギュアの店が入ってきているのである。
 一つ重要な点は、ラジオ会館の管理者が経営的意図でもってこのような入れ替えを推進したわけではなさそうだということである。これは、取材したテナントや周辺の店の共通の見解である。ラジオ会館はそもそも月極方式であり、売上げの割合で使用料を取るわけではないので、会館側で敢えて元気な店を誘致したり、マーケティング戦略を執ったりするような必然性は薄い。またラジオ会館の経営者は昔気質なところがあり、会館が秋葉原のオタク化の中心として見られるのを望んでいないはずだという話も、調査の過程で聞いた。近在の電器屋に対する体面もあるのだという。
 逆にマンガやガレージキットなどの新規参入店が組織的に地上げめいたことを行ったのかというと、そのような可能性は各店の規模からいってなお薄い。縁故をたどって会館の経営者に接近した店も存在するようであるが、あくまで紹介程度の働きかけで、テナントの立ち退き交渉にまで及ぶような力が介在するものではまったくなかったようである。
 実体としては、家電やオーディオを扱う店が経営悪化で縮小・撤退する中で、不動産経営者にとってはやや不本意ながらも、秋葉原への進出に積極的なオタク関連の店に周旋せざるを得なくなったということのようである。これが結果として、あたかも意図されたものであるかのようなラジオ会館の急変をもたらしたのだと推測される。


コミケットとエヴァ・ブーム
 それではなぜ、マンガやガレージキットの専門店はこぞって主体的に秋葉原へ進出しだしたのか。渋谷や吉祥寺、池袋といった、若者の街としては秋葉原よりはるかにメジャーな街に店舗を構えながら、本店を移さんばかりの規模で、店によっては前の店舗を畳んでまで秋葉原に出店したのはなぜか。
 秋葉原にガレージキット店が集中し出す端緒となった海洋堂の宮脇修一専務の話によれば、当時、同人誌即売会などのイベントのために上京したオタクたちの巡礼ルートが、秋葉原を指向するようになっていたという。つまり、以前なら神保町でマンガ専門店へ行き、秋葉原でレーザーディスクを買い、コミックマーケットでマンガ同人誌を買うといった具合に分散していた巡礼地が、秋葉原に凝縮する傾向にあったということのようである。そうした勘に従って、特に精密な市場調査などもせずに勢いで移転してみたところ、営業に本腰が入る前からいきなり売上げが急増したらしい。つまり、あくまで需要が先行して存在していたのである。これはおそらく、前述のパソコンへの主力商品のシフトによってもたらされた、客層の変化に起因している。
 また他の聞き書きも含めて浮かび上がって来るのは、エヴァンゲリオン・ブームが秋葉原への進出の大きな背景を成していたということである。九七年以降に進出が一挙に行われたことと、時期的にはこれに符合する。
 「新世紀エヴァンゲリオン」は九五年から九六年にかけて放映されたテレビアニメで、当時オタクに絶大な支持を集めた。番組が再放送されるに及んで一般の青少年層からも広く注目を集めるようになり、九七年に二回に分けて劇場公開された時期をピークに、メディアミックス的なブームを形成することになる。関連商品は書籍やレーザーディスク、ゲームやプラモデルなどを中心として多岐に展開され、三百億円の経済効果をもたらしたと推定されている。全国の一般書店にはエヴァンゲリオン・コーナーができ、同人誌即売会でも巨大なセクションを構成するほどマンガ同人誌がつくられた。ガレージキット業界に対しては市場規模自体をヒトケタ拡大させるほどの効果を及ぼし、キャラクター模型やフィギュアに対する需要を一般層に広げるという、副次的なサブカルチャーブームを誘発させる主因ともなった。
 このエヴァ・ブームが、ガレージキット店や同人誌専門店の進出に必要な体力と勢いをもたらし、秋葉原の一等地への出店を可能にしたのである。それまでは渋谷や吉祥寺に店を構えていたとしても、多くのそうしたオタク系専門店は、裏通りの引っ込んだ場所に立地していた。海洋堂はかつて渋谷に店を構えていたが、先の宮脇氏によれば、そうした若者の街にあって、オタク系は店側も客側も目立つ位置に出るのは気がひけるという側面があったらしい。秋葉原の土地柄とともに、一般をも巻き込んだエヴァ・ブームが、そうした専門店に表通りにどんどん進出し、露出していくような店づくりを展開させる大きな後押しともなったようである。
 実際、このとき秋葉原に新しく進出してきたのはいずれもエヴァ・ブームの恩恵にあずかった業種である。エヴァンゲリオンの制作出資母体となったProject Evaが、キングレコード、角川書店、セガ・エンタープライゼスという、それぞれレーザーディスク、マンガ、そしてゲームの関連商品を出す企業のジョイントベンチャーであったことと、これはある種の背景を共有している。
 その背景というのは、現今の青少年世代に広範に認められる趣味的愛好の一つのパターンである。つまり、レーザーディスクを集める人はテレビゲームやマンガ同人誌なども好み、さらにはガレージキットとも親和性が高い傾向があるという実態、ないしはイメージである。エヴァ・ブームが過ぎた後もなお、秋葉原にマンガ・アニメ・ゲーム関連の専門店が増加しているのは、そうした趣味的傾向を総合的に環境化するような方向で街が進化し始めたからである。
 この秋葉原が体現し始めた趣味のパターンが、あまりに「オタク」と称される人格類型像に共有されているステレオタイプと合致するため、諸々のオタク専門店の進出による秋葉原の近年の変化は、ひどく自然なことのように見受けられるかもしれない。しかし街の形成のされ方としては、これは極めて新しい現象である。これまで都市形成に与ってきた諸構造では枠づけられないことが、そこで起こっているからである。このことは秋葉原にもともとの電気街が発生した過程を参照することで、より明確になる。


電気街小史
 秋葉原電気街の形成には、二つ大きい要因があった。一つは終戦直後、近くに位置する電機工業専門学校(現東京電機大学)の学生がラジオの組み立て販売のアルバイトを大ヒットさせ、部品を供給する電器関係の露天商がそこに集中したことである。一九四九年にGHQが道路の拡幅整備のために露店撤廃令を施行したことでこの闇市は危機に陥るが、東京都と国鉄が救済措置として秋葉原駅のガード下に代替地を提供し、そこへ凝集せしめられることとなる。これによって、現在のラジオセンターやラジオデパートを中心とする、駅周辺の高密度な部品商区画が形成されたのである。
 もう一つの要因は、戦前から店を構えていた廣瀬商会が地方にネットワークを持っており、遠方から仕入れに来る小売業者や二次卸し店が多く訪れたことである。結果、秋葉原は安いという評判が広まり、交通の結節点だったということもあって、一般客も集まるようになっていった。そしてその後は所得倍増計画などを背景とした前述の「三種の神器」に代表される戦後の家電ブームに後押しされて、今の秋葉原に成長したのである。
 この過程をたどると、電気街の発生はあくまで戦後になってからの歴史的背景の薄い諸要因ではありながらも、基本的には流通や交通といったインフラや、行政が主体になっていることがわかる。後に電子工作好きのマニアを集めるようになったとしても、それはあくまで副次的な現象であって、電気工作マニアの趣味に合わせて電気街が形成されたわけではけっしてなかったのである。
 ところが九七年以降の変化には、交通はともかくとして、流通や行政的要因はほぼ不在である。特別な経済効果が引き金として認められはするが、それをもたらしたのは行政的な政策などではなく、一つのテレビアニメ番組だったのである。
 さらに注目すべきなのは、前述したように、そこには不動産経営者や大企業資本によるような組織的な開発すら不在だということである。渋谷における東急の109や東急ハンズ、池袋における西武やパルコの展開のように、巨大な電鉄系資本によって若者の流行がさまざまに開発され、それを牽引力に街のデヴェロッピングが行われた八〇年代的都市形成のされ方とも、この秋葉原の変化は決定的に異なるのである。
 取材の過程で幾度も電器店、オタク専門店双方から強調されたのは、秋葉原のこのオタクの街への変貌が、あくまで需要が先行した、自然発生的なものだということである。主力商品が家電からパソコンにシフトしたことにより客層に人格類型的な偏りが生じ、これによって趣味的傾向のパターンが歴史や地理、行政、流通といった旧来的な構造に代わる新しい街の形成構造として、力を帯び始めたのである。
 マーケティングの分野を中心に近年用いられるようになった概念の一つに、コミュニティ・オブ・インタレストというものがある。インターネットなどのテレコミュニケーション網の発達が基盤となって、地縁・血縁に依らない、趣味や関心の共通性に基づいたコミュニティが形成され、そうした集団の重要性が増していくという考え方である。同じ趣味に関するページ群へのリンク集を設けたサイトや、興味ごとに分類された電子掲示板群を巡れば、さまざまなサンプルを目にすることができる。そして秋葉原では、あたかも現実の街がインターネットにおける場所(※ルビ:サイト)の構成のされ方を模倣するかのように、コミュニティ・オブ・インタレストを主体とした街の変貌が起こっているのである。
 これは秋葉原にのみ見られる現象かというと、実は大阪の日本橋の電気街でも、同様な風景が出現しつつある。日本橋でも秋葉原を追うようなかたちで、次々とマンガ同人誌やガレージキットの専門店が進出し始めているのである。さらには韓国の龍山電気街でも、こうした傾向の萌芽が出始めている。同じ趣味的傾向のパターンが、各所で電気街を母体としたコミュニティ・オブ・インタレスト型の都市形成を促し始め、それらの街の風景にまで、少なからぬ影響を及ぼし始めているのである。


個室から都市へ
 九七年五月にキャラクター商品専門店を秋葉原に開き、街の本格的なオタク街化の先駆けを成したゲーマーズが、九九年一一月には中央通り沿いに七階建ての本店ビルをオープンさせた。一階はいわゆるキャラクターグッズ、二階はゲーム、三階はコミック、四階はアニメを中心とするDVDやCD、五階はトレーディングカード、六階はガレージキットやプラモデル、七階はトレーディングカードのためのゲームスペースを兼ねたカフェという、完全なオタク趣味のデパートといった感のあるフロア構成である。このようなビルはその後、LAOXホビー館(九九年一一月)、コミックとらのあな新一号店(二〇〇〇年一一月)、そしてアニメイト秋葉原店(二〇〇一年四月)と、秋葉原に何本も出現しつつある。
 ゲーマーズ本店ビルは屋上に「でじこ」という、テレビアニメの主人公にもなった同社のマスコット美少女キャラクターの顔をでかでかと看板に掲げ、「でじこビル」の異名をとっている[図3]。マンガのキャラクターが看板に描かれるのは、国内においてはさして珍しいことではない。しかしここ数年の秋葉原の場合、ビルの外壁に所狭しと貼られたポスターから立て看板、さらには等身大の立体POPまで、その密度は異様な高まりをみせている。時には駅の床にまで、アニメビデオやポルノゲームの美少女キャラクターが特殊広告としてでかでかと貼られることがある[図4]。これは後述する、都市が個室と連続化しつつあることの端的な現れとなっている。
 ここで秋葉原に集中しているキャラクター商品群を見渡してみると、そこには強い偏りがあることに気付く。すなわち同人誌にしてもアニメにしても、いずれも日本のアニメ美少女に特徴的な、幼女的な顔立ちの特有なスタイルで描かれたものがほとんどだということである。ディズニー関連やスヌーピーといった輸入物のキャラクターは全くと言っていいほど見受けられない。むしろ秋葉原に新しく凝集しつつあるゲーム・漫画・プラモデル・アニメといった商品群を見渡してみると、日本が文化的に他国に輸出しているものが凝集せしめられていることに気付く。そしてこの特質は実は、旧来の電気街としての秋葉原が扱ってきた電器製品とも色濃く通底している。すなわちソニー、サンヨー、パナソニック、ニンテンドーなど、いずれも「メイド・イン・ジャパン」の代名詞となってきたブランドの商品がほとんどなのである。実写の看板やポスターに関しても、他の街より秋葉原は日本人のアイドルのものの割合が高い[図5]
 夜に秋葉原に行くと、秋葉原の看板のネオンの色は赤と白の面積が異様に多いことに気付く。これを日の丸の色と関連づけようとするとあまりに飛躍が過ぎるかも知れない。しかし秋葉原以外でも、たとえばビックカメラやサクラヤのようにメイド・イン・ジャパン商品群の密度が高い店の看板は、赤と白が多い。逆にたとえば英会話学校の看板は、そのほとんどが青と白、すなわちアメリカの色を基調としている。これは色に限ったことではなく、秋葉原の看板や垂れ幕は日本語の比率が大変高い。外国からの買い物客が大変多いにも関わらず、である。
 転じて例えば皇居を挟んで山手線のちょうど反対側に位置する渋谷を見てみると、白人や外国の風景のポスターが多く、そこに躍る文字も外国語の割合が高い。また、海外のブランドの店舗が増加傾向にある[図6]。秋葉原とは趣味的にちょうど逆方向に尖鋭化しつつあるのである。かつて渋谷に混在していたドメスティック志向のオタク系専門店が秋葉原に重心を移したことと相まって、渋谷では相対的にインターナショナル志向趣味がかつてないほど濃くなって来ている。
 この分化は商品、看板やポスターのみならず、建物のつくりそのものにまでおよび始めている。秋葉原では、二〇〇〇年末にオープンしたLAOXデジタル館に端的に見られるように、窓の面積が極端に小さくなりつつある。逆に渋谷では、GAPやQ・FRONTのように、建物がどんどん透明化しているのである[図7、8]。これは、秋葉原に行く人たちがバーチャルな人工世界に没入していこうとする傾向があるのに対して、渋谷に行く人たちはむしろ自身の外観を人工化させてショッピングしている自分を外に対して演技するという人格の違いに起因している。端的に言えばオタクとコギャルのコミュニケーションの様態が、そのまま環境に反映されつつあるのである。
 街が、そこへ行く人たちの人格的傾向によって分節され、それぞれの趣味に従って都市風景が形成されるようになってきているのである。日本中の都市が個性を失い、均質化されてしまっているといわれるようになって久しい。ところが現在、旧来の場所性とは異なる構造で、新たな固有性を街が獲得していくということが起こり始めているのである。
 この渋谷と秋葉原への趣味的傾向の分化は、実は青少年層の個室に反映された趣味の実態調査の結果と興味深い合致を見せる。図9は高校生を対象に、自室のさまざまな特質と被験者の人格的特徴や家族を含めた社会的属性を調査し、その因子負荷をプロットしたものである。基本的には相関の高い項目が凝集することになるが、そこには二つのゆるいまとまりを見出すことができる。左側のまとまりは自室のインテリアへの関心の高い人を中心としており、電話時間や友人の入室頻度が多く、海外の俳優やミュージシャン、スポーツ選手のポスターが多いという特徴がある。右側のそれは逆にインテリアに無関心で、テレビゲームやビデオの使用時間が長く、日本のタレントや漫画・アニメ関連の装飾品が多い傾向にある。いわば左側がインターナショナル志向であるのに対し、右側はドメスティック志向である。
 渋谷と秋葉原の都市風景は、この左右グループのそれぞれの個室に見られる趣味的傾向が、そのまま巨大にブローアップされ、環境化されたものになってきている。コギャルやオタクの個室が今や、近未来の都市の縮図となりつつあるのである。

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