戦後日本文化と建築意匠の相関の研究:森川嘉一郎

サランに包まれた都市はサリンの夢を見るか?

Do Saran-Wrapped Cities Dream of Sarin?

下文は『GA JAPAN 15』(エーディーエー・エディタ・トーキョー、1995)に寄稿した伊東豊雄の「せんだいメディアテーク」を中心とする批評の転載である。

サランに包まれた都市はサリンの夢を見るか?

伊東豊雄の仙台メディアテークのコンペ案には「SUBLIMINATION」と題されたフロアがある。「無意識へのはたらきかけ」という意味である。この不可思議なタイトルの下に具体的にどのような内容が描かれているかは定かに示されていないが、知覚的に不可視なイメージを、鮮度を保ったまま建築化するためのプロトタイプをこの計画は暗示している。これは脱シンボル・脱メタファーを画策する伊東の一つのマイルストーンとして位置づけられると同時に、これまでの彼の作品の変遷と照らし合わせてみると、情報化時代の建築を考える際の興味深い参考材料となる。

消滅の戦略
伊東はかつて野武士と呼ばれたグループのメンバーであった。この世代の特徴は、コマーシャリズムやテクノロジーによって均質化しつつある社会に対する、その反抗的な態度にある。彼等の批評的建築を目指す姿勢には多かれ少なかれ磯崎新の影、あるいは笛が常に存在していたわけであるが、各々の戦術は見事にバラバラで、バラエティーに富んだものであった。ある者はコンクリートによるミニマルな表現を追求し、またある者は過激な引用を展開した。職人的なセルフビルドを実践する者もいた。そうした個性やラディカルな意志をむき出しにした野武士の面々の中で、伊東は作家性や意志の表出の薄い、フォルマリスティックな洗練に重心を置いた。社会に対する姿勢も、コマーシャリズムは嫌いつつもそれによってもたらされる均質性や相対性は祝福するという、アンビギュアスともいえるものであった。そうした彼の曖昧さは、「シミュレイテド・シティの建築」や「サランラップ・シティの建築」と題された一連の言説に、さらにはコスモロジカルでイメージ的な形態とプログラマティックで明晰な構造との間に揺れる作品群にも現れている。
こうした薄さ、曖昧さ故に、彼は建築家としては珍しく手つきが軽やかだと評されたりもした。しかしその希薄さは社会がますます均質化しつつある中で、確実に戦略的な意味合いを獲得しつつある。過激な彼の同輩達が徐々に丸くなりつつある中で、逆に伊東の態度が鋭さを帯び出したことがこの変化を露にしている。
この変化には幾つかの要因が重なっているが、その一つはいわゆるファッションである。伊東は90年代に入って公共建築を手がけ出すと同時に、〈風〉や〈包〉といった詩的な言葉によって自らのイメージを語る代わりに、極めて説明的なプログラム論を展開するようになった。施主が役所に変わったから、ということもあるが、この側面自体は、ポストモダンにおける過剰な記号作用や、デコンが陥ったあまりに形態的な表現主義に対する反動が引き起こした、ここ4、5年の潮流の内に位置づけられるべきものであろう。「ネオモダン」や「OMAスタイル」等と称されているこの日本における一派は、この反動の当然の帰結として、作家性や過剰さが薄い。こうしたモードと、自身のスタンスのシンクロが、最近の伊東の浮上の背景の一つとして存在する。
しかし、90年代にこのモダニズムのシミュラークルと思しきスタイルが発生せざるを得なかったのは、単なる表象へのノスタルジーからの揺れ戻し的な反動だけではなく、あらゆる可視なものの失墜という、広範でかつ不可逆的な移行が生じたことをより深い根として持っている。形態も記号も映像も、この流れの中で急激に力を弱められ、表現としての有効性を喪失しつつある。この失墜を端的に象徴しているのが湾岸戦争であり、デジタル・イメージングの大衆化がこれを決定的なものにした。もっとも、この移行はメディア・テクノロジーの浸透がそのすべてを均質なシミュレーションにしてしまった都市や社会 − U・エーコがハイパーリアリティーと呼び、J・ボードリヤールがシミュラークルと呼び、伊東豊雄がサランラップ・シティと呼んだところの社会 − において必然的に生ずるところのものであり、メディアに対応した建築を模索する上で直面せざるを得ない問題としてかなり前から予感されていたことではあった。
伊東豊雄の希薄さがこのような社会的背景において強力な戦略性を帯びるのは、情報化されたフィールドにおいては不可視性こそが最大の武器となるからである。伊東は建築を衣服に例えているが、例えば軍服は、戦士の威厳を増して英雄をいやがうえにも目立たせる古典的なものよりも、戦場における軍の可視性を減ずる没個性的色彩のものの方が現代の白兵戦においては有効であるとされている。また戦闘機も、第二次大戦までは敵味方の識別を明確にする個性的なカラーリングが成されていたが、現代のものはどれもロービジビリティを徹底した青みがかったグレーに塗りつぶされ、マーキングも最小限に抑えられている。湾岸戦争において登場したステルス機はレーダーの視線に対しても透明である。これとは対照的に旅客機は、特に日本の航空会社を中心に最近極めてカラフルなマーキングが施されている。少し前までは戦闘機の方が旅客機より派手であったのが、いまでは完全に逆転している。現代においては視覚的な強さや過剰さよりも、不可視性の方が暴力を暗示している。

変容の戦略
伊東の作品はもともと過剰な身振りを欠いたものであったが、特に90年代に入ってからのそれは、より積極的に手つきや身振りを消していこうとする模索がその変遷に投影されている。それは、可視的形態から視覚的隠蔽へ、さらに視覚的不可視性から知覚的不可視性へという道筋をたどっている。公共建築デビュー作である八代市立博物館(1991)においては、自邸シルバーハットのヴォールトがヒロイックともいい得るようなかたちで表出していた。同時に、ランドスケープの中に建築のヴォリュームを隠蔽するという、不可視化へのアプローチの第一歩がとられている。ここから、ヴォールトや宙に浮かぶ収蔵庫といった作家的な色彩を帯びた(わかりやすい)ヴォキャブラリーを排除したところに舟底を逆さにしたような諏訪湖博物館(1993)があり、試みとしての建築のランドスケープ化もさらに押し進められた。しかし湖と舟という極めてメタフォリカルな見え方は逆にシンボリックなまでに強められた観があり、この路線で消滅の美学を追求していくことの限界も露呈したかたちとなった。
ホテルP(1992)に始まるストライプと楕円の路線は、形態の問題を視覚から知覚の次元に移す試みであったといえる。ただし、〈風〉や〈包〉といったメタファー性を、プログラムというシステムへの移行に際して払拭したかというとそうではなく、実際に生じたことは全く逆で、システムのメタファー化が行われたといった方が、日本の「ネオモダン」全般の傾向を表していよう。ストライプ構造に関しては、その源であるレム・クールハースのラ・ヴィレットの2等案(1982)において既に明晰で極めて原理的な説明が成されている。すなわち、最多数のプログラム間の境界面を最大にし、かつ全体のストラクチャーを傷つけることなく機能の大幅な交換を可能にするというものである。伊東も「プログラムの組み替え」といったタイトルの下にファンクショナルな説明を展開しているが、八代の老人ホーム(1994)や消防署(1994)等の彼の作品において特徴的だったのは、ストライプと楕円がヴォキャブラリー化して色濃くメタファー性を帯びたということである。これは伊東が自身のデザインに対して「マイクロチップスの庭園」や「バーコード・アーキテクチャー」といった表現を使ったことにも端的に示されている。すなわち、ストライプは均質性を意味し、ルーズさを表現する楕円は図となることによってストライプを地に落としこむという、半視覚的、半知覚的表象である。これは特に楕円を扱う際のフォルマリスティックな手つきににじみ出ており、クールハースのオリジナルとの最大の相違点であるといえる。また、伊東のスタイルがクールハースのそれと表面的に類似しているというのは逆説的な意味で本質的なのであって、これが結果的に彼の作品の匿名性を増幅しているのである。
1994年に連続するようなかたちで発表された三つのホールのコンペ案は、基本的にはストライプ・楕円路線の延長線上にあるが、これらにみられるのは、プログラムやコンテクストから形態へもっていく際に、こうしたヴォキャブラリーをメタファーとして用いるのか、それとも分析に徹することによって表象的側面を蒸留していくのかという模索であったといえる。この三案において楕円形は、再登場したランドスケープのモチーフとともに突出した形態を与えられて君臨したり、逆に低く埋められて端部を敷地に溶かしこまれたり、はたまた二つの正円の間の運動性に分解されたりした。こうした極めて意識的な扱いの揺れによって、計画はシンボリックになったり、逆にダイアグラム的な意味合いすら薄められたりと、似たようなヴォキャブラリーと劇場という共通機能の条件下で、コンテクストの反映というレベルを超えた変位を与えられた。いずれにせよ、伊東にとって楕円は作家的、さらにトレードマーク的形態と化しつつあったため、以前よりもその扱いに対して敏感にならざるを得なかったことは間違いない。
OMAを中心とする分析的アプローチを指向する最左翼の一派は、形態の表象化を恐れて一度使った形態は二度と用いようとしない。この分析的アプローチというのは、自明ながら一種のコンセプチュアリズムであって、その美学は視覚的な次元の表現を消滅させるところにある。すなわち形態が、知覚的次元でなされる表現の投影でしかなくなるため、表現が眼には視えないものとなるのである。デコンストラクティヴィズムの良質の部分が建築形態のコンセプチュアル・アート化をもたらしたのに対し、このアプローチはより空間的に、従ってより抽象的にこれを果たしていくことを目指しているといえる。
伊東の大田区区民休養村プロポーザルの当選案は、ロバート・スミッソンやマイケル・ハイザーらによるランド・アートを建築形態にブローアップしたものである。そうした側面においてはデコンと同じような手法であるといえるが、機能をひも状に配列したという側面においては分析的色彩が強い。作品間の揺れに加え、こうした彼の徹底することを避けるようなあやふやさが、彼のポジションを曖昧な状態に保ち、シャープな像を結ぶことを防いでいる。

透明な暴力
前述したように、このあやふやさ、あるいは不可視性というのは現代において急速に意味合いが転換している。60年代をもって明快でシンボリックな形態は効力がなくなり、複合性や対立性を経て曖昧性の追求に至った。そして視覚の失墜によって抽象的な知覚性にウェイトが置かれるようになった現在も、表現の有効性は知覚的明快さから、それを侵すノイズへと移行しつつある。これは、隅々まで均質に透明化されてしまった社会においては不透明な他者性こそが生産されなくてはならなくなっていることに対応している。機能主義的なストライプの中に、その明晰さとは相いれないような曖昧な感覚で楕円がえぐられたのも、知覚的な不鮮明さをできるだけ現象的に付与していく行為であったといえる。
野武士時代からの〈風〉や〈包〉といったイメージが、作家的な手つきを脱皮することによって現象性を帯び、こうした楕円、さらには仙台における樹状のヴォイドに昇華していったことは容易に想像し得る。しかし、個人的な意識を排除しつつ知覚的な不透明さを生成しようとすると、それはある種の無意識をシミュレートするということになる。かつてのデコンは突拍子もないところから軸線やコンセプトを召喚させるという方法によってこれを行ったが、ほとんどの場合カオスを表象するような奇抜な彫刻の様相を呈した。仙台における伊東の新しさは、露出してしまえばひどく造形的なシンボルと化してしまいかねない形態に、構造・設備両面にわたる機能を付与して手つきを隠蔽し、かつヴォイド化して明晰なプログラムのヴォリュームで完全にサランラップすることによって、メタファー臭すらほとんど匂わないような状態にもっていったことであろう。ここに現出している揮発性の空間は楕円のような記号的なそれよりはるかに知覚的に不明瞭であり、非視覚的な暴力性を帯びている。デコンが過激派の爆破テロに対応するとすれば、こちらは犯人の意志が見えないサリンテロである。現代は前者の派手な視覚効果より、後者の不可視性がもたらす戦慄の方が圧倒的に強い。
仙台での伊東の手法は、クールハースが70年代に注目したシュールレアリストの分析法 − もやっとした得体の知れない物体が真っ直ぐな杖に固定されているダイアグラムに示されるパラノイド・クリティカル・メソッド − を想起させる。すなわち、海草のような構造体が、明晰なプログラムの積層の内に凝結せしめられているのである。ここではさらに、構造化されたプログラムの方が、もやっとした得体の知れない構造体に物理的には支えられるという転地が仕掛けられている。
「メディアテーク」という施設に対してこのようなデザインが提示されたのは意味深い。無意識性はメディア時代におけるイメージのあり方と大きく関わるからである。ヴァルター・ベンヤミンはすでに半世紀以上前に、写真という媒体が意識で塗り固められたそれまでの芸術にかつてない異化作用をもたらし、内省ではたどりつけない視覚的無意識を現出せしめたと指摘している。「カメラに語りかける自然は、眼に語りかける自然とは違う。その違いは、とりわけ、人間の意識に浸透された空間の代わりに、無意識に浸透された空間が現出するところにある。」(田窪清秀・野村修訳、『写真小史』)
電子メディアが氾濫する現代において、イメージは人間の意識世界にとどまらず、知覚閾下の領域をも激しく巻き込みつつある。仙台の海草状のヴォイドは、構造体でありながら無意識性の高いイメージを呈している。今後伊東がこの形態を再使用して腐らせてしまうのか、それとも新しいイメージを開拓していくのかが次作において注目される。
それまでの間、彼の「身体をその内に絶えず包み込んだ建築」というイメージや、楕円形のヴォイドとバー状のソリッドの対位法や、仙台のヴォイドなどに対して、フロイト的な分析を試みてみるのも一興であろう。

ホーム作家寄稿
(c) Kaichiro MORIKAWA
last update:25/2/1997