戦後日本文化と建築意匠の相関の研究:森川嘉一郎

サティアンをめぐる言説

Discourses on Satyam

下文は「サティアン論」の第一章の転載であり、日本建築学会「建築年報一九九六」に寄稿した「オウムが投げかけた波紋」に加筆・修正を加えたものである。

サティアンをめぐる言説

一九九五年の三月から五月にかけて、地下鉄サリン事件等の捜査にともない、オウム真理教の数々の施設がテレビを中心とする映像メディアによって連日映し出された。山梨県上九一色村に展開する第一から第十二の「サティアン」、同じく山梨県の富沢町の「富士清流精舎」、静岡県富士宮市の富士山総本部、熊本県波野村の施設群などである。それらはデザインがほとんど施されず、工場や倉庫に近い外観を呈していたという点において、それまでの宗教建築の概念から大きく逸脱するものであった。
一九九七年現在、「サティアン」の現出が建築意匠にとって意味するところをめぐり、既に建築関連雑誌等において建築家・評論家がさまざまに見解を表している。現代建築の意匠論を展開する上で重要な事象の一つになりつつある「サティアン」に関し、ここに、現時点までに成された論説をまとめる。

報道にみるサティアンの特質
オウム真理教に対する強制捜査に際して新聞・テレビ等のメディアの中で伝えられた情報の内、「サティアン」並びにその敷地に関する事項を以下に挙げる。
・敷地である山梨県上九一色村は富士山の西麓に位置する人口千八百人ほどの小さな過疎の村であり、観光と酪農を基幹産業としている。村の歴史はまだ百年まで至っていない、比較的新しいもので、明治七年十一月に周辺の梯、古関、本栖、精進、畑野、中山、新門、三帳、垈、高萩、八坂、下芦川という十二の小さな山間の村々が合併して、九一色村を名乗ったことに始まる。それが明治二十二年七月には先に九一色村を形成した十二の集落のうち、畑野、中山、新門、三帳、垈、高萩、八坂、下芦川の八つの集落が分離して下九一色村を編成、そのことで残ったの梯、古関、本栖、精進の集落が上九一色村を村名とした。
・「九一色」という地名は、かつてこの地方の生活の糧であった木工業に由来する。郷中の九カ村は武田家が支配していた頃から、木工を生業としており、「工一色」と呼ばれていた。それをたまたま九カ村を一つの郷としていたことで、「九一色」と当て字をしたものと言われている。
・上九一色村が拓かれたのは戦後のことであり、満州開拓の引き揚げ者らが入植し、農業機械がまだない時代に、鍬やスキで原野を開墾した。しかしその後の農業切り捨て政策の結果、離農する農家が多くなり、それらの土地が不在地主化したり、別荘用地と化していたということを背景にして、教団による土地の買収が進められた。
・施設群が位置する上九一色村富士ヶ嶺地区は、青木ヶ原樹海に隣接し、標高五百メートルから一千六百メートルの高原となっている。
・教団による敷地の買収は一九八九年以降、ダミー会社等を通じ、段階的に行われた。
・サリン事件が発生した一九九五年の時点で、上九一色村にある教団の土地は、関連会社の所有とされる土地を含め、総面積は計約四万八千平方メートルとされる。これらは七カ所に点在し、購入順に「第一上九」「第二上九」「第三上九」…と称された。また、教団が国内に所有している全土地建物は、全国十一都道府県にまたがり、少なくとも十六カ所計十三万六千平方メートルになるとされ、時下に換算すると十七億円になる推定される。
・上九一色村の教団施設群は一九九〇年に着工され、実質上「九七年ハルマゲドン説」(第二章参照)が説かれた九三年以降に急速に建設が進められ、一九九五年に至るまで建設・増改築が続けられた。
・主要な幾つかの施設は「サティアン」と称され、番号が付された。これはサンスクリット語で真理を意味する。
・主要施設の機能は以下の通り:
@第一上九(第二、三、五サティアン) 印刷工場
A第二上九(第六サティアン) 住居・本部
B第三上九(第七サティアン) 化学工場
C第四上九(第八、十二サティアン) パソコン工場
D第五上九(第九、十一サティアン) 作業場、工場
E第六上九(第十サティアン) 礼拝堂
F第七上九 倉庫
・上九一色村における施設用地、化学物質や工作機械類などには、合計で百億円を超える資金が投入されたと推定されている。
・上九一色村の土地を買った後、それを担保に教団は金を借りていないとされ、このことは教団の潤沢な資金力を物語るものとされた。
・施設群に居住する信徒の数は約八七〇人で、これは上九一色村富士ヶ嶺地区人口の七五〇人を上回る。
・施設は未熟練の信者たちによって施工された。
・施設は地域住民から隔絶された敷地において、表示・説明なく施工された。
・建設に際し、地域住民と軋轢が生じた。
・施設の多くはプレファブリケーションによるものであった。
・施設内において、信者の居室はベニヤのパーティション等によって仮設的に設けられた。
・施設内の部屋は埃だらけで、ネズミやゴキブリが多く徘徊していた。
・施設内外・屋上は廃物等が乱雑に放置された状態にあった。
・一部の施設では中の大型設備を神像等で隠蔽する工作が施された。
・一部の施設では壁面に露出した設備等を隠蔽するために足場が組まれ、幕が張られた。
・空気清浄機と称される設備が各棟に設置されていた。
・一部の施設では地下や天井裏等に隠蔽された部屋が設けられた。
・強制捜査の際、施設からは現金七億円と金の延べ棒十キロが発見された。

建築家・評論家によるサティアンをめぐる言説
新聞・雑誌等においてこれまでに発表されたインタビューや論文の主旨は、大きく次のa.〜d.の四つの指摘に分類される。以下、主要なものを引用する。

a.デザイン・美・建築に対する無力感
・「サティアンを見ていると、デザインされたものに対する無力感がある。感受性を持たないところまで単なるモノにしてしまったようなデザインをそこに見るとするならば、それは意図的な還元と省略のあげくに到達したミニマリズムの背後に費やされている『デザインする 』という努力をほとんど無駄に思わせる。ミニマリズムも超デコンも含めて、ポストモダン以降の建築のあらゆるファッションが打ち留めになるくらいまで、モノに戻されてしまったのではないか。(中略)上九一色村の後にわれわれは本当にデザインができるのだろうか。デザインをする手がかりを持ち得るんだろうか。」(a)(磯崎新・建築家)
・「美しさというのも終わった」(b)、「創価学会の大本堂である大石寺をはじめとするさまざまな新興宗教の聖堂と比較すると、オウム教の聖堂の特異さを了解できよう。オウム教は建築の記念碑性(モニュメンタリズム)どころか、建築という形式の一片さえ求めることをしなかった。彼らは建築の終焉を風景として、私たちに示したのだ。」(c)(石山修武・建築家)
・「従来の建築の価値観を否定する動きを感じないわけにはゆかない。」(d)(岡本慶一・建築家)
・「建築の無力さを実感する。」(e)(栗原昌樹・建築家)
・「現代日本の社会ではイコノロジーはほとんど崩壊し、もはやテーマパーク(つまり「ごっこ」の世界)でしか成立しないということを示している」(f)(大野秀敏・建築家)
・「現在のデザインやアートという行為の空虚さを増幅させたというのが実感だ。」(g)(吉松秀樹・建築家)
・「サティアンは建築的欲望の終焉を象徴する建築であった」(h)(隈研吾・建築家)

b.情報化がもたらす形態・空間の失墜
・「ビデオとヘッドフォン、情報が空間より優位に立ち、すべてをコントロールする。情報化社会の未来を予感させる。」(i)(栗原昌樹)
・「現在の建築は形より内容の時代になっているが、彼らのニヒリズムはそんな建築の観念をはるかに超え、情報だけに価値を認めている。」(j)、「近代建築はゆきついたところがパビリオン建築みたいなもので、さらにまたそれが、パビリオンさえもいらなくて、中の出来事さえあればいいという、けっこう割り切った認識」、「構成や形の廃棄が情報化というテーマと結びついてきた。オウムのサティアンを見て何かつながっているのかなと思った」、「インテリジェントビルはお金のかかったサティアン」(k)(石山修武)
・「サティアンは彼らの美的感覚の欠如を証明する建築物ではなく、情報的な環境に対する彼らの敏感さを証明しているのです。」(l)(隈研吾)
・「デザイン性が情報の中のみの存在となったため、それを視覚表現として現実化する発想を信者達は欠落させていた。」(m)(藤森照信・建築史家)
・「奇妙な現実感覚の遊離状態を象徴的に示しているのは、上九一色村の施設における徹底的に無菌化された『清潔さ』の観念と実際の不潔さとの著しい乖離であろう。」(n)(吉見俊哉、都市論・文化社会学)

c.生活に対する圧倒的無関心
・「近代デザインの基本となる、生活に対するプログラムがない」、「出家した後の暮らしをどうするのか、といった点でもすべて行き当たりばったり。まるで弁当と飲み物の容器が散乱するなかでテレビゲームに熱中する大学生の安下宿」(o)、「そこには身体を含めた生活に対する奇妙なある種のニヒリズムみたいなものがある。」(p)(柏木博・評論家)
・「構成することとか、形を使って人に活気を与えることにいっさい無関心」、「意図的に捨てるというより、無関心で放り投げている。」(q)(藤森照信)
・「いきあたりばったりで配置でも何でもなく、それを超えて、(中略)捨てきったという圧倒的な無関心」(r)、「それゆえ、サティアンは建設されながら、そのママ消費の形式を、つまり巨大ゴミ状態を呈していったのだった。」(s)(石山修武)
・「『今、使えれば、なんでもいい』という思想がノイエ・ザハリヒカイトの思想だとすれば、オウムの建築はそれに近いようにも見える。」(t)(岡崎乾二郎・建築家)

d.閉じたゲームのパッケージ
・「オウム教聖堂(サティアン)はパビリオン建築であった。建築はその内でなされるさまざまなゲームのパッケージにしかすぎぬものになっていた。しかも内と外とは完全に分離され、内の出来事の一切は外に反映されることがなかった。(中略)聖堂(サティアン)群の特色は粗末な箱にしかすぎないのと同時に、窓というものに対して何も期待されていないことだ。ゲームに興じる信者達に外界、すなわち他者は不要なものだった。」(u)(石山修武)
・「上九一色村のディズニーランド」、「現実とは、地域の人々との日常的なつきあいの中から発生してくるものではなかった。(中略)ディズニーランドが外部の現実に対して徹底的に閉じた自己完結的な空間であるのと同じように、波野村や上九一色村の教団施設からは、彼らの「解脱」や「救済」の物語と矛盾する外部の易化的な現実が入り込む可能性が最大限排除され、自己完結的なリアリティの整合性が保たれていったように見える。」(v)(吉見俊哉)

一つ補足すべき点は、オウム真理教が教義や思想によって美的なものを排していたわけではないということである。その建築への無関心は、教団がメディアジェニックなもの(アニメーションを含む布教用のビデオ・布教用の漫画・ポスター・音楽・制服・かぶり物など)には徹底してデザインを施しているということと、鋭い対照をなしている。これはナチスから半世紀を経た現代日本において、建築が宣伝における効力すら著しく失っていることを示している。あらゆるメディアを駆使して信者にマインド・コントロールを施そうとした教団が、建築意匠をこれに動員しなかったという事実、これを証しているという側面に、サティアンの重要性の核がある。
サティアンと他新興宗教の施設の比較は、この失墜をさらに明瞭にする。サティアンの外観をして、オウム真理教が新興宗教であるが故に、伝統や様式を生みだすに至っていないという説明を与えることも可能であるが、一般に新興宗教は伝統を欠いているが故に逆にこうしたものを激しく求める傾向にある。創価学会、世界真光文明教団、霊友会、立正佼成会や世界救世教など、財と勢力のある新宗教はほとんど例外なく豪華絢爛たる神殿を建造している。
サティアンが建築家やデザイン評論家の論議の対象となっているのは、サティアンの圧倒的なデザインの欠落に、一宗教団体の特異性として片づけることのできない大きな社会・文化的変化が介在しているとみられるからである。サティアンは90年代に入ってから建てられたものであり、極めて新しい現象である。そして上記a.〜d.は、サティアンを社会の情報化にともなうパラダイム・シフトとの関連の上に位置づけているという点において一致している。
すなわち、情報への価値の移行により現実の形態・空間・生活に対する感覚的価値が下落し、人々が建築の拠り所ともいえるそれらに無関心になった結果、効力を失った建築はその中で繰り広げられるゲームの粗末なパッケージに惰すことになる、という筋書きがほぼすべての論説の通奏低音を成している。石山修武は、「現代はその方向へとメインストリームを向け、すでに流れ始めているのだ」と、この状況を強調しており、インテリジェント・ビルや現在の都市風景をサティアンと同質のものとして関連づけている(w)。
サティアンの周辺や内部の乱雑さと、コンピュータ・マニアをはじめとする現代若者の個室にみられるそれとの類似性を指摘する発言も成されている。教団の出家信者のゲーム的修行の場であったという点に注目すれば、現実と仮想が逆転した環境における建築の先行事例として、サティアンは情報化と建築意匠の問題を扱う上で欠くことのできない資料となるといえる。

オウム真理教事件をめぐる主要言説
社会学者、宗教学者、評論家等によってなされたオウム真理教事件に触れた言説の内、サティアン論を導く上で礎となるものを以下に挙げる。
吉見俊哉は前節で挙げたサティアンでの生活とディズニーランドのそれとの類似性を指摘しているほか、サティアンの住環境の不潔さを、信者達がその身体感覚をある種情報化していたことに起因するとしている。
「(麻原とオウム教団は)情報的な自己の身体を集団化していった。すなわち、八〇年代の『サブカルチャー』の中に浮上した身体の『脱身体化』傾向を、『逸脱』として周縁化するのではなく、まさにそうした脱身体性にこそ修行を通じて目指すべき自己の本質があるのだと規範化していった。自分の前世は『天使』だったと主張するオカルト雑誌への投稿少女は、喫茶店でチョコパフェを食べながら『これって私の肉体の好みなんですよ。肉体は人間ですから。食事の好みって天使(本当の私)にはないんですよ』と語ったという。この感覚を反転させるなら、容易に教団施設の不潔さやおよそ味覚を否定するかのようなオウム食を厭わず、清浄な世界に『本当の自分』を住まわせられる教団信者達の自己感覚に近づこう。麻原は、その巧みな弁舌とイニシエーション儀礼を通じ、このような「天使=超能力」に、「肉体=現実社会」を優越するリアリティの資格を与え、そうした身体を集団のレベル、さらには疑似国家のレベルにまで組織化していこうとしていたのである。しかもこのとき、彼らは、本来はヴァーチャルな時空のヴァーチャルな身体の集合でしかないはずの彼らの王国を、熊本県波野村なり山梨県上九一色村なりに物質化していこうとした。ここにおいて彼らと地域社会との、そしてまた現実の国家や市民社会との深刻な対立は避けられなかったのかもしれない。」(x)
身体と情報化の問題については、宗教学者・中沢新一がオウムのヨーガ理論を分析し、それを「サイバネティックス(情報理論)的密教」と称した。
「オウム真理教のサイバネティックス的密教では、グル(成就したグル)は、自分の知識と体験とによって、解脱にいたるプロセスのすべてを、知り抜いている存在のことを指している。グルには『叡智のデータ』が集積されている。弟子は、そのグルの知識と体験に集積されている『正しいデータ』を、コピーしてもらうことによって、『スムーズに解脱のステージまで行くことができる』。そのためには、修行者は、『正しいデータ』の入力が可能になるために、できるだけ自分の心をまっさらにしておく必要がある。グルを信じて、グルに『帰依』することによって、はじめてそのような『真理のデータ』注入が可能になる。」(y)
中沢新一はまた、オウム真理教の密教の本質がその「データ性」のほか、その「生産的無」にあるとし、共同体としてのサティアンのベースとなった教団のロータス・ヴィレッジ構想を批評している。
「オウム真理教は、日本的な『マンダラを引き裂く』運動として、出発した。それは、日本的な価値観や社会秩序に対する、はげしい批判性を抱え込んでいた。彼らは、一種の『分離派』だったのである。だが、社会から分離しても、みずからが生産の原理を内包した集団であるかぎりは、敵意に包囲されたままであっても、生き延びつづけることはできるだろう。オウム真理教も確かに、何かの生産をめざしはした。しかし、それはIBMのクローンであるコンピュータの生産であり、レストラン経営であり、ようするに情報産業とサービス産業にしか、たいした関心はいだいていなかった。それでは、『分離派』の思想をトータルに表現するはずの『ロータス・ヴィレッジ構想』は、経済的にも不可能であった。
いや、そういうこと以上に、オウム真理教には、その根本の思想から言って、『能産する力』の原理が欠如していたのだ。彼らの密教は、女性性や能産性の原理を排除したところになりたっている、本質的に情報論的な密教である。そこからは、生産する無、生産する女性性、生産する大地の要素が、取り除かれている。」(z)
サティアンに美を追求したデザインが欠落していたことに関しては、オウムが大文字の歴史、すなわち大文字の美学を欠いていたことにその背景を求める指摘が幾つか成されている。おたく世代の出自を自己解体的に自らのアイデンティティとしている評論家、大塚英志は、「オウムの人々の歴史認識の危うさは、陰謀史観にせよ終末思想にせよ、その前提となる大文字の歴史を決定的に欠いており、その空白をサブカルチャーが代行してしまっている点にある」(A)と論じ、サティアンのデザインについて以下のような考察を加えている。
「オウム騒動の渦中、一部の建築家から、サティアンの『温泉旅館』性についての指摘がなされたことをぼくは記憶する。無計画に増改築を繰り返し、その結果として建造物としては全体性を欠いたものとしかいえない『温泉旅館』の無秩序さと、サティアンの設計思想の近似を指摘したものだった。いや、正確にいうなら、サティアンや温泉旅館はそもそもこの設計思想を根源的に欠いていることが、建築家たちを困惑させたのだ。オウム騒動に関して唯一、まともに発言したアニメ関係者である富野由悠季もサティアンの印象として『美意識の欠如』を執拗に問題にしていた、と記憶する。(中略)
その『全体性』へと至る原理をどう呼ぶかは今はさして問題ではない。『設計思想』でも『美意識』でも『超越性』でも、どう便宜的に名付けられてもかまわない。繰り返すが問題としてあるのは、そのような原理が不在であるが故に『サティアン』的なるものは、『増改築』を無限に持続し、そのグロテスクな身体をさらし続けざるを得ないという点にある。
だが、むろん、オウムに於ける『サティアン』性は、その建造物にとどまらない。むしろ、オウムそのものが『無限に増改築』し続ける存在としてある、と考えた方が妥当であるのは言うまでもない。
ぼくはかつてオウムは断片化したサブカルチャーの引用からなる無秩序な集積に他ならない、と断じた。(中略)
ここでいうサブカルチャーとは、いわゆる〈おたく〉文化に限定されない。オウムの言説の中にはいわゆる『現代思想』の類から始まって『戦後民主主義』的言説やその正反対の『戦後民主主義批判』など、オウムの形成の過程で同時代に流通していたあらゆる言説が断片として取り込まれている。原始仏教やヨーガに関する知識も同様である。
ぼくがここで『サブカルチャー』と形容するのは、それぞれの知識なり言説が、それが本来、帰属する全体性から切り離され、温泉旅館的『増築』のためのパーツと化している事態を示す。」(B)
同様な指摘は評論家・小浜逸郎によっても成されている。
「生活物資の生産、選挙活動、コンサート、医療活動、書物の出版、科学研究、アニメやビデオや放送による広報宣伝活動など、およそ思いつく限りの文化的な営みを欲張って取り込もうとしているにも関わらず、どれ一つとっても中途半端で、(中略)すべてがにわか作りで、「先進性」や「科学性」や「芸術性」や「社会性」を焦って身につけようとしているだけの「まがいもの」なのだ。この「まがいもの」へと彼らを駆り立てているのは、「伝統」や「本物」への屈折したコンプレックスであり、あこがれでもある。そしてこの屈折は、現在の日本の不毛な文化的状況全般に通底する不安の誇張された表現となっている。」(C)
吉本隆明もオウムという現象の背景として、すなわち大文字の倫理の崩壊を挙げている。
「ぼくはオウム事件を『姿なき内線』の一種とかんがえています。(中略)
何が問題なのか。〈善悪〉の基準が現代の市民社会を離れて、浮遊しだしたこと。経済でいえば、価格がその物本来の価値と関係なく浮遊しだしていること。(中略)
こうした浮遊現象は、所得の半分以上が個人が使っている消費であるという現在の消費社会の特徴からくるものではないでしょうか。物の価値とか〈善悪〉とか価格といった、あらかじめその本体によって決まったようにみえていたものが、消費社会になって、本体から離れてさ迷いだした。オウム事件の根底には、このような浮遊現象があるような気がするのです。ですから、オウム事件は高度な消費資本主義社会では、起こりうる可能性があった事件だとも考えられます。」(D)
吉本隆明はこの問題を解決するには、「もっと包括的な倫理観というものを探して確立していかなくてはならない」としている。しかし、小浜逸郎は逆に、「たいせつなのは、むしろ過度な倫理や理想を暴発させることよりも、退屈と豊かさにたえる知恵と理論をみんなでじっくりと編みなおすことなのだ」(E)とする。このように「退屈と豊かさ」に満ちた「終わりなき日常」を本質的な問題ととらえる論者は多く、彼らは共通して大衆のハルマゲドンに対する願望を指摘する。芹沢俊介はこれに「オウムの本質的な魅力」を求める。
「オウムの本質的な魅力とはいったい何なのか?
世紀末日本に生きる私たちは、『ハルマゲドン』という言葉に象徴されるカタストロフィーを恐れていると同時にどこかで待望しています。こんな社会は一度壊れてしまったほうがいい、その淀んだ苛立ちが社会全体を覆っているのだと思います。(中略)
この社会を変えたい。だが、変えようがない−そうした日本人の苛立ちを、オウムは体現していたのではないか。彼らの言う(あるいは目指した)ハルマゲドンは、じつは私たちが心の底で待望しているものではないか。」(F)
このハルマゲドン願望と、震災直後の神戸並びにそこにおけるボランティア・ブームをコネクトする指摘も宮台真司・山崎哲・切通理作によってなされている。これについては次章において詳述する。


(a):磯崎新×柏木博、「今なおデザインは可能か?」、『GA JAPAN17 』 、エーディーエー・エディタ・トーキョー、一九九五
(b):「対談・オウム真理教と建築」、『建築士』 一九九五年一二月号、建築士会連合会
(c):石山修武、「住居論04 窓を開けよう、マチが見える」、『新建築住宅特集』 一九九五 年九月号、新建築社
(d):「GA JAPAN LEAGUE '95 今年の二大出来事に対する参加建築家の見解」、『GA JAPAN17 』
(e):ibid.
(f):ibid.
(g):ibid.
(h):ibid.
(i):ibid.
(j):「オウムの建築」、朝日新聞 一九九五年六月十九日 夕刊
(k):「対談・オウム真理教と建築」
(l):「GA JAPAN LEAGUE '95 今年の二大出来事に対する参加建築家の見解」
(m):「オウムの建築」
(n):吉見俊哉、『リアリティ・トランジット 情報消費社会の現在』、紀伊国屋書店、一九九六
(o):「オウムの建築」
(p):磯崎新×柏木博、「今なおデザインは可能か?」
(q):「対談・オウム真理教と建築」
(r):ibid.
(s):石山修武「住居論11住居の消失」、『新建築住宅特集』 一九九六年六月号、新建築社
(t):「GA JAPAN LEAGUE '95 今年の二大出来事に対する参加建築家の見解」
(u):石山修武、「住居論04 窓を開けよう、マチが見える」
(v):吉見俊哉、『リアリティ・トランジット 情報消費社会の現在』
(w):石山修武「住居論11住居の消失」
(x):吉見俊哉、「オウム的なる身体をめぐって」、イマーゴ八月臨時増刊号「オウム真理教の深層」、中沢新一編、青土社、一九九五
(y):中沢新一、「『尊師』のニヒリズム、イマーゴ八月臨時増刊号「オウム真理教の深層」
(z):ibid.
(A):大塚英志、「われらの時代のオウム真理教」、『諸君!』一九九五年六月号
(B):大塚英志、「『超越性』批判」、『ユリイカ』一九九六年八月号、青土社
(C):小浜逸郎、「思想と文化のハルマゲドン」、『あれは何だったのか?』、北川哲編、ダイヤモンド社、一九九五
(D):吉本隆明、「西の天災と東の人災」、『宗教の最終の姿 オウム事件の解決』、吉本隆明・芹沢俊介、春秋社、一九九六
(E):小浜逸郎、「オウムと全共闘」、草思社、一九九五
(F):芹沢俊介、「われらをオウムと学会に誘うもの」、『宗教の最終の姿 オウム事件の解決』

その他参考文献
・藤田庄市、「オウム真理教事件」、朝日新聞社、一九九五
・竹内精一、「オウム二〇〇〇日戦争−富士山麓の戦い」、KKベストセラーズ、一九九五

「サティアン」各棟の図版を掲載した出版物としては、以下のものが挙げられる。
・FLASH五月二九日増刊号、光文社、一九九五
・FRIDAY 六月一日増刊号、講談社、一九九五
・サンデー毎日臨時増刊六月三日号、毎日新聞社、一九九五(信者個室群を含む第六サティアンの平面図あり)
建築関連雑誌では「GA JAPAN 17」が第八、十二サティアンの写真を自社撮影のもとに掲載している。
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last update:25/2/1997